STORY
食べてみたいから、
育てた。
カカオという魅力的な果物を、
自分の手で育ててみたい。
東京で育ったカカオが
どんな味のチョコレートになるのか
味わってみたい。
東京産カカオは、
シンプルで強い探求心から生まれました。
最初の苗を植えてから実を収穫するまで、
10年以上の時間をかけて
まだ誰も味わったことのない
おいしさにたどり着きました。
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2003 年表
東京カカオプロジェクト
スタート- ガーナのカカオ農園を視察
- 2006 プロジェクトチームが発足
- ベトナムのカカオ農園を視察
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国産カカオの栽培地を小笠原諸島に決定
カカオを日本で育ててみたい、
というシンプルな想い。平塚製菓の社長である平塚正幸は、カカオ農園の視察のため2003年にガーナを訪問しています。カカオの実が幹から直接鈴なりになっている様に驚き、日本ではほとんど知られていない果物に興味を持ちます。最初は「うちの庭に1本あったら」と考える程度。でも日本でカカオを育てるには?と調べたり考えたりするうちに、興味は具体的なプロジェクトへとふくらみました。2006年にはベトナムのカカオ農園を訪問。生産者としての立場と視点での視察でした。
Made in TOKYOのチョコレートなら、
きっと世界が驚く。通常、カカオは赤道を挟んで南北緯20度以内の地域で栽培されます。国内でも平均気温の高い地域がいくつか候補にあがる中、栽培地として選んだのは小笠原諸島。成功すれば、Made in TOKYOとして世界に日本産カカオを発信できます。社長自ら小笠原諸島の役場を訪ね、共に栽培に取り組んでくれる地元の農家さんを探しました。プロジェクトに興味を持ったり、協力してくれる人が増え、国産カカオの夢はより具体的に進んでいきます。
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2010
東京産カカオの栽培-
カカオ栽培のパートナーを探すため
小笠原諸島の農家さん向けにプロジェクト説明会を実施 - 生カカオの輸入許可を取得
- 初めてカカオの種を植える(1665鉢分)
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167本が発芽するもうまく育たず
最初の大きな挫折
まずは種が必要です。そのため生のカカオを手に入れる必要がありましたが、輸入の前例がありません。輸入許可を得るため検疫などの各種手続きや申請に奔走し、やっと生カカオを入手。そこから種を取り出し、1,000粒以上を畑に植えました。発芽したのは167本。好スタートと思っていたのですが、すべて枯れてしまいます。気候条件はクリアしていたため、原因は不明。日本でのカカオ栽培は、やはり簡単なものではありませんでした。
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母島で初めてマンゴーの栽培に成功した
折田農園さんに協力を依頼折田農園との出会い
プロジェクト存続の危機に直面していたとき、折田農園さんに出会います。母島で初めてマンゴーの栽培に成功した折田さんは、小笠原の気候を知り尽くしているとともに、困難を乗り越えるチャレンジ精神にあふれた人でした。改めて折田さんとともにインドネシアのカカオ農園を視察し、栽培計画を再構築。東京カカオプロジェクトは大きな推進力を得て再始動しました。
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カカオ栽培のパートナーを探すため
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2011
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栽培計画を改めて策定し直すため
折田さんとともにインドネシアのカカオ農園を視察 - 折田農園での栽培スタート
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小笠原諸島が世界自然遺産に
登録される -
ハウス第1号棟が完成
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栽培計画を改めて策定し直すため
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土壌の徹底的な整備とハウス建設
カカオにとって最適な土壌をいちからつくり直すことに。本土からショベルカーなどの重機を輸送し、開墾とともに水はけのよい土壌を整えます。また台風が多く海風も強い小笠原では屋外での栽培は難しいと判断し、ハウスを建設。直射日光に弱いカカオのために可動式の屋根を備えたもので、通常よりも背が高い特注品。水やりや温度調節など試行錯誤しながら、新しい土壌とハウスで苗は順調に育ち、木もどんどん太く大きくなっていきます。
2012
- ハウスでの栽培開始
- ハウス第2号棟が完成
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ハウス第3号棟が完成
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2013
カカオの実を初めて収穫- 国産カカオの初収穫に成功
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発酵の研究をスタート
いよいよカカオの実をチョコレートに
2013年10月に初めてカカオの実が収穫でき、その後少しずつ収穫量が増えたため、カカオをチョコレートへと加工する工程に取り組むことに。そもそもカカオは、中の種を発酵・乾燥させた状態で輸入するのが当たり前でしたから、国内には発酵・乾燥の事例や資料がほとんどありません。どのような菌で発酵するのか、どのくらいの温度で発酵するのか、すべて試しながら、研究しながら進めることになります。何度も何度も試す中で、ようやく納得できる発酵にたどり着いたのは、研究開始から2年後のこと。
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2015
チョコレートが完成-
ハウス第4号棟〜7号棟が完成
カカオ500本分が栽培できる設備が整う -
平塚製菓工場内に発酵研究ラボを開設
他のチョコレートにはない
東京カカオらしい風味を実現収穫されたカカオの実は、毎週小笠原諸島からの船便を使ってTOKYO CACAO専用の加工場へと運ばれてきます。そしてすぐに新鮮な種を取り出し、発酵・乾燥させ、焙煎、ミリングなどを経てチョコレートに。とれたてのフルーツのような豊かな風味と酸味は、まさに東京カカオならではのもの。土壌を整え、種から育て、花が咲き、実が大きくなり、ひとつひとつの収穫から、発酵・乾燥の加工まで、すべてを一貫して国内で実現したかけがえのないチョコレートが誕生しました。
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2016
東京産カカオのみを使用したチョコレート
「TOKYO CACAO」の発売をプレス発表 -
東京産カカオの加工専用の小規模ラインを整備
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ハウス第4号棟〜7号棟が完成
2019
東京産カカオのみを
使ったチョコレート
TOKYO CACAOを初めて発売
2022 新パッケージにリニューアルして発売
interview
代表インタビュー
平塚製菓株式会社 平塚 正幸
70年以上チョコレートをつくり続ける製菓会社、平塚製菓の代表取締役。1990年より三代目社長に就任。OEM路線への転換、直売所の新設、新工場の建設など事業を推進。東京カカオプロジェクトの発案者であり責任者。
夢見ることの大切さを伝えたい
東京カカオプロジェクトは、チョコレート屋のおやじの夢なんです。カカオを日本で育ててみたい、そのカカオでチョコレートをつくってみたいという、いわば私のわがまま。私は経営者ですから、普段は会社の利益率や現場の効率に頭をめぐらせています。でもそれだけでは正直つまらない。夢がなくちゃいけません。まわりからどれだけ無謀だと言われても、夢見たことのために工夫し努力する。そうすることで、視野は広がり、知見は深まり、新しい人間関係も生まれます。そして何より、できなかったことができるようになるわくわく感。若い人にもこの感覚を伝えていきたいなと思います。このプロジェクトを通じて、私の夢はさらにひろがっています。東京産カカオでつくったチョコレートは、きっと新しい「日本らしさ」になる。引き続き国内一貫生産で世界に恥じない品質を追求していきます。
平塚製菓について
創業は1901年。和菓子製造からはじまり、戦後はチョコレート製造へ。1948年に二代目社長がチョコレート製造に事業を転換。現在は110年以上におよぶ菓子づくりのノウハウと技術を活かし、チョコレートのOEM製造を中心に事業を拡大。確かな品質と企画開発力で数多くの製品を手掛けています。